その試合が終わり、家に帰る車の中で私は引退を決意した
日本プロ野球史上初の3,000試合出場を達成して間もなくの1980年9月28日の阪急ブレーブス戦。4対3とリードされた8回裏、一死満塁で打席が回ってきた。最低でも外野フライを打って、同点にする自信があったが、バッターボックスに向かった瞬間、監督から代打を告げられた。「それほど今の自分は評価されていないのか」と愕然とし、過去の実績も経験も、もはや役に立たないと思った。代打で出たバッターは最悪のダブルプレー。野村は「ざまあみろ」と思った。チームはその試合を落とし、帰りの車の中で、野村は引退を決意した。代打を出されたことよりも、チームメイトの失敗を喜んだ自分が、プロとして失格だと思ったからだ。